フランス公募の絵

迷いながら苦戦していた

色んな感情が動き

思考で分析をはじめた私

何回もチャレンジできるのだからとか 

審査員はフランス人だから

フランス人が好きな色はブルーで描くとか

最初の審査は写真

カメラ写りを考えた方がいい

カメラは色はグリーンを基本にしているから

グリーンやブルーは美しく色がでる

反対色の赤は難しいから

カメラを意識した色を使った方がいいとか

新しい浮世絵を描きたいとか

私の絵は絵画的じゃない

デザイン的だ

だから絵画的に描かなくちゃ

分析してしまう私がいた

そうすると身体は自由にならない

感覚が鈍る

若い頃の私は50枚描いて

1枚気に入った絵が描けたらいい方で

スムーズにはいかない

体調が悪い時に描いた絵が

尊敬していた先生に褒められる

お前は体調が悪い時に、良い絵が描けるなぁ

その言葉は深く私の記憶に残った

身体がリラックスしていない

だから自由に表現できない

上手く描こう

認められたい

邪念が沢山あって

身体の神経はスムーズに動かない

昨日、感じたんだ

公募の絵は邪念だらけ

公募で入選とか

フランス人が気に入った絵を描くとか

カメラを意識するとか…

 

そんなものはいらないと

それは楽しくない

自由じゃないと気づいた

こんな不自由な話はない

私が描きたい絵を描き

いま描きたい表現をする

誰かに媚びたところで

私らしくないなら意味はない

楽しくないならフランス公募に

チャレンジする必要があるか?そう思ったら

好きなように描こうと思った

私の感覚で感じたままに表現したい

それなら良い気分のままに絵の世界に入れる

今できる表現に集中し

私が私の絵に惚れる絵が描けたら、それでいい

名誉、お金、仕事など

絵を描いている時に

そんなモノを頭の中にちらつかせていては

パワーが出ない

いい作品が描けるはずがない

邪念だらけな絵なんて感動はない

純粋な私が表現するから楽しいし

私が好きな絵が描ける

そこに気づいたんだ